私マドレーヌ。化粧品にかぶれた経験ありです。

約40年前から遡ってみましたが…

※これは、私の経験であり特定の化粧品メーカーを中傷するものではありません。ご了承下さい。

私のスキンケアとお化粧品の歴史

では、私の化粧かぶれ経験を使ってきた化粧品やケアとともに、お話します。

1968年生まれのマドレーヌ。

幼少期~高校生まで流行ったものは全部試すタイプ

昔から赤ら顔。色は白いですが、運動すると真っ赤になります。

小さいころのあだ名はあんまん(ピンクの肌のため)、りんご病、おてもやん。

つまりほっぺが赤いのです。

でも、ニキビはあまりできたことはありません。いたって普通。

顔はずっと「花王の石鹸」で洗ってました。

小学校~高校生までまでの間に、流行したのが

  • ガーゼ洗顔
  • 亀の子たわし洗顔
  • スポンジ・海綿洗顔
  • キュウリ・アロエ・レモンのパック
  • ニベア
  • オロナイン
  • 卵リンス
  • コーラでシャンプー
  • アイプチ

ぜーんぶやりました。

やった後、非常につっぱる・かゆい・真っ赤になるでどれも続きませんでした。

non-noとかanan、りぼんやなかよしの漫画雑誌、ポップティーンやピチレモンとかに載ってたんですよね。

どう懐かしい人もいらっしゃるんじゃないかしら。

その度に、蚊に刺されたような湿疹ができたり水ぶくれができたりしていましたが、わけわからず放置でしたね。

時代的に仕方がなかったです。だーれも知識ありませんでしたから。

1988年20歳時の大きな化粧カブレ

お化粧を始めたのは18歳です。昭和60年1985年頃です。

家族と併用のお化粧品は適当だった

当時は資生堂、カネボウ・コーセー・花王ソフィーナとかが主流でした。

高校卒業時に資生堂から試供品もらえるなんてのもあったような。

大学生の姉が使っているシャネル・ディオール・ヘレナ・ランコムも自宅に普通にありました。

レブロンやブルジョワ、メイベリンなども買ってはいました。

母は知り合いからのポーラを使ったり。

近所の薬局のおばさんが販売するカネボウ使ったりなんて感じ。

スキンケアは家族で使う感じでした、カネボウを。ローションと乳液というケア。

クレンジングはポンズ。とても、流行っていました。

母も姉も飽き性なので、途中で使わなくなった化粧品がゴロゴロしていました。

私もそこから適当に使ってました。

練習すれば上手くなる!と夜、クレンジングする前にベッタベタに塗りたくっていましたね。

聖子ちゃんの目のメイク真似したりしていました。

夏用ファンデでかぶれる

さて、ことが起きた20歳。

カネボウのサンセラミィ。コレは、夏用のファンデーションなんです。(もうかなり前に廃盤になっています。)

当時はUVファンデとは言っていませんでした。

夏に崩れないようにするためのファンデーションね。

これが始まりでした。

自分で購入した夏用ファンデ!すごーくノリは良かった!マットな感じなのに艶っぽくいい感じ。化粧崩れもしないワ。

それをつけて合コンに行き、翌朝「なんか顔が変だな。違和感あるな」と思いながらまた合コンへ行き…

当時はバブル時代。

出会いのための健康的な女性超優遇の素晴らしい合コンが連日ありました♡

でも、当時は無知でしたし若かったですから、違和感を違和感と思わなかったんです。

その翌日・・・

「なんじゃ、こりゃあああぁぁぁぁ」

私の顔はお相撲さんなみ
(当時は朝潮関のようにって言っていました)

に膨れ上がっていました。

顔中細かい水ぶくれができて、目が開かない状態。

皮膚科に直行。処方された万能クリームはステロイドだった

すぐに、病院へ。実家の近くで名医と言われている皮膚科。

かなりの評判でした。そこで万能クリームを処方してもらいました。

  • 一日2回まで
  • 日光にあたらないこと
  • 1週間くらいの短期使用。

するとあ~ら不思議。スーッと炎症は引き、顔が引き締まったよう。

それに、小さいころから浮き上がっていた毛細血管がない!

よって、赤ら顔解消♪♪

今はネットで調べりゃこれが、ステロイドとわかります。

が、時は昭和。

先生か薬剤師かわからないけど、病院で作って白いケースに入れられて渡される。

成分公開もなけりゃネットなんて無い時代。

私は言われた通りに使用。

こりゃ、素晴らしい。ということで、無くなるまで使いきっちゃったのです。

化粧品メーカーの最悪対応を経験

落ち着いたころに、そのお店へ持って行って相談しました。

すると、美容部員さんに

それ化粧品にまけたんじゃなくて、うるしか何か触ったんじゃないですか?

別に変じゃないですよ。

それより、どこの病院いったんですか?そこの病院結構評判悪いですよ。それに、その病院のクリーム副腎皮質ホルモンが入ってて、将来ガンになりますよ。肝臓に蓄積されて、ウンヌンカンヌン

と、ステロイドの説明に始まり、結局私は当時の敏感肌用の化粧品(コスメティア?)を買わされて帰ったのです。

敏感肌用のものをしばらく使っていると、大丈夫でした。

使い心地などは全く覚えていません。化粧水と乳液でしたね。

洗顔などは母が買ってきた「ミノン」を使っていました。

肌を鍛えるために高級化粧品へと進むも…

購入の際言われたのが、コスメティアはあくまでも敏感肌用であるということ。

ずっと使っているとなまっちょろい肌になるとアドバイスされてやめました。

「そっかー…そういうことか。私の肌は弱いのか。それなら、肌を鍛えなきゃ!」

という考えになった私。

一旦、敏感肌用をやめてから、高級化粧品の購入へと進みました。

「肌に良い」といわれるものは結構乱用していました。

ファンデーションはカネボウのDUY。

夜にはエスティローダー「ナイトリペア」ランコム「ニオゾーム」なんていうのも使っていました。

が、しかし…

外国化粧品については、使った場所がミミズ腫れになったことが数十回。

その度に、使うのをやめて皮膚科処方の謎のクリーム(ステロイド)を塗る、という生活を繰り返していました。

その後、ちょうど23歳の時。

なぜかは覚えていませんが、百貨店にだけ売っていたカネボウの「HFアシュエフ」に出会います。←ルナソルの前身です!

アシュエフは美容液のような化粧水と乳液のシンプルスキンケアでした。

それがよかったのか肌がモチモチしていきました。

冬用ファンデーションもセーフ。かなり保湿が高かったです。

しかし、ここで、人生2度目の顔パンパン事件を引き起こします。

人生2度目の顔パンパン事件

アシュエフの夏用WTというシリーズ。

使い始めたのが冬だったので、夏になると夏用すすめられまして。

使った瞬間から顔が浮腫む。顔が苦しい、締め付けられる。目が重い。ファンデーション塗っている時にはやたら白い。顔面蒼白的な白さ。顔がみるみる膨れあがり、痛さも伴ってきたのです。

紫外線吸収剤を知る

そこで、判明したのが、紫外線吸収剤原因これです。

当時はまだ使っている商品が多かったです。これは、美容部員のお姉さんが判断してくれました。

だから、真夏でもアシュエフの冬ラインをわざわざ取り寄せて使っていました。

さすがの私も、この頃になると、化粧品かえるのが怖くなってきました。

やっと、自分は肌弱いのかもっていう認識もでき、なんとなく夏用は使わない方はいいと思いはじめました。

鉱物アレルギーなんて言葉も知りました。

そして、肌のつくりを少しだけ教えてもらいました。

肌のつくりを何となく知る

毛穴がひらいているとか、キメがこんなふうに揃っていないとか。水分が足りてないとか。

よく売り場では、スキンチェックなどをしてくれますが、私、水分が60パーセントくらいあるのに油分が測定不可能っていうほどに皮脂が分泌されていなかったです。

まあ、それだけ、皮膚の排泄活動がうまく働いてなかったって今でこそわかりますが・・・

その、皮脂が出ていない状態で「パウダーファンデーションのみ」という行為がさらに乾燥肌に拍車をかける。

この時にジェルファンデーションでカバーをしておけば良かったかもですね。

さすがに、そこまでの知識がなく、ますます肌は機能低下し皮膚は薄くなる一方なのでした・・・

アシュエフ自体は気に入って結構愛用していました。

余談ですが、私が使っているというので周りの友人たちがこぞってお買い上げ。

私はカネボウの美容部員かというくらい売りましたね~(笑)

平成4・5年頃25歳くらいまでの話です。

1993年エステでまたもや大かぶれ

ここで、人生最大のイベント「結婚式」があります。

ブライダルエステがえらいことに

大手のエステ体験で契約!でも、すぐにトラブルが出てしまいました。

  • 体は蚊に刺されたようなブツがいっぱい
  • 顔は細かい水ぶくれができ
  • ピーリングで真っ赤

ヒリヒリして大変でした。

そして、カキにもあたり・・・(これは別か。)

また、ステロイド使用しました。そして、エステは断念。

思えば、みんな通ってたなぁ。でも私は断念。チーン…。

ここから、又、一段と酷くかぶれるようになっていきました。

1994年頃~化粧品ジプシー

訪問販売などにも手を出す

出産を経て凄い勢いで化粧品探しを始めます。

ミキモト化粧品に出会いますが・・・これは、よかった!

確かに、真珠の成分なのか美白効果がすごい。カブレもない。基礎を使ってみようかな。と思いましたが。

これは、訪問販売的で代理店の子ねずみ?的な人を通して買うので、面倒くさい。

家に来るので、ちょっとね…。

セミナー的な説明会・勉強会に行くのもめんどくさい。やめました。

いろんな化粧品を試してみては、アシュエフに戻るという生活をしていました。

使える化粧品がなくなった!!

1998年ごろ~かろうじて使用していたアシュエフが廃盤になるとの知らせが。

ルナソルに変わるらしく使ってみましたが、アウト。数時間でヒリヒリ。

その後、また色々使い始めて…

ファンケル、クロロフィルなどは、使い心地が悪い。物足らない。私が求めていた肌となんか違うぞ。

途中、DHCのオイルクレンジングにもかぶれてしまいました。

もう、ワケわからなくなり、化粧品ジプシー。

そして、ついに4回目の顔面大爆発へ・・・

2003年4回目のかぶれ大爆発

2003年頃。スーパーで福引がありフェイシャルエステ券があたりました。(運命感じる…)

それで、私、肌弱いですよ。って言うのにもかかわらず、30代後半におすすめする新しいラインが出るので、使ってください。と言われ。

エステをしてもらい、試供品を使いました。

名前は覚えてません。オレンジ色のヤツ。

わぁ、これは使い心地いいじゃーん。化粧ノリぴったりツヤツヤ。こんなの使いたーい。」

試供品使い終わった時点では出なかったんですよ。

だから、大丈夫だわと揃えました!

全部で4万弱でとても満足。

それで、それで、それで、1週間目に顔が…パンパンのアンパンマン。

やはり、私は、化粧品アレルギーなんだわ。皮膚科直行!

そして、又、ステロイドもらいました。リンデロンと何か知らんヤツ。

少し自暴自棄で薬あるからどないでもなるわーーーーと、そこからまたジプシー。

結構色々使ったかな~。

自然派化粧品へ進んでみるも…

実は、アジュバン化粧品と出会った頃、自然派化粧品も見つけていました。

まだ私にはあまりものの区別がついていませんでしたが、自然派の方にはまっていました。

一時期使っていたカネボウの「フリープラス」が漢方のような写真使だったのもあり、やっぱり自然がいいのかな~って思っていて。

それは、「美杏香」っていう化粧品。

ボディシャンプーやジェル?などがあって子どもと使えるからと思って使用。確かに良かったです。

でも美杏香のファンデとかはイマイチでした。

というのは私、基本的に「お化粧」がだ~い好き。だから、「美杏香」の化粧品コンセプトが私とは違う。

どちらかと言うと「美杏香」は化粧を仕方なくする感じ。楽しんでお化粧するとは受け止められませんでした。

色もうーん・・・だったし。まあ健康にはなるんだろうけどね。

結局続かないんですよね。こういうのって。

だから、その反動で目に付くもの聞いたりしたもの全部やってみました。

  • オイルクレンジング使ってみたり、オリーブオイル塗ってみたり。
    →これは酷かった。当時の皮膚科では「オイルクレンジングまけ」がうようよ。オイルクレンジングによる乾燥ニキビですな。
  • 主婦には便利なドラッグストアコスメ試してみたり。→これは酷かった。当時の皮膚科では当時まだミルク買いに行ったりはかせるオムツ買ったりで行く機会が多くついつい…

どれもこれも皮膚科へGOなのですけどね(;’∀’)

とにかく、完璧に化粧カブレしてるんだわ!とはっきり意識できた頃です。

自暴自棄になって化粧品ジプシー

ここでまた、私の癖。自暴自棄になって、色んな化粧品に手を出しました。

何だか、失恋して遊びまくるみたいでした。

ひとしきり乱用が終わり慎重にコスメ選びが始まりました。

ステロイドとは知らず使っていた処方されたものたちのおかげで、すっかり皮膚は薄くなり毛細血管が浮き出ている状態。

ちょっとのことで赤くなるの毎日。

それでも、子どもの幼稚園の送迎で化粧は欠かせません。化粧品探しと言っても、安物を探すのではなく、良いモノ探しです。

例えば、百貨店の化粧品、クリニーク、コーセー、ソフィーナ、資生堂は一通り試しましたが全く論外でした。

その中の、敏感肌用っていうのにも全然ダメでした。

「Dr.シーラボ」が出はじめた頃で、医薬品っぽいのに惹かれて使用。

半分使ったころから急に乾燥が始まり、最終形は虫に刺されたような感じになるいつものコース。

皮膚科で売っているものは、これ何なん?というくらいカブれました。(ノブ?とか聞いたことないヤツ色々)

近所の薬局でススメられた化粧品は即日アウト。

ファンケルも成分変わったのか反応。

敏感肌なの…という方にすすめられた化粧品も数々使ってみましたが私は反応してしまって。

それから、どこへ行ってもかぶれます」と言うと、売ってくれませんでした。

私の肌は、どうもみんなのとはニュアンスが全然違うな。とも実感しました。

結局、色々あって、ショッピングセンターの買い物がてらに見つけた「キュレル」やカネボウの「フリープラス」を使用していました。

うーん、反応はしませんでしたが

  • ファンデーションがキレイにつかない
  • すぐ化粧が崩れる

ということにとても不満でした。

ただ、どこにでも売っているから使いやすいというのと低価格なのでまぁいっか。という感じ。

さあ、ここから私の化粧かぶれ人生が大きく変わります。

2005年化粧かぶれ克服の始まり

きっかけはヘアーワックスだった

そして、ここへ来て、またやらかしてしまいました。でも原因はヘアーワックスでした。

2万円ほどしたワックスでかぶれてしまいました。すっごくショックでした。

ワックスのせいで髪の毛からフェイスラインにつくのもありましたが、大きな原因はタオルだったようです。

ワックス拭いたタオルを洗濯しても、その成分が残っていてそれに反応したようです。

そりゃあまあかゆいのなんのって。

全身ありとあらゆるところにデキモノが…

で、ワックス探しをしている時にみつけたのがアジュバン化粧品です。

私がアジュバン化粧品を知ったきっかけは、これだったんです。

シャンプーとトリートメント、ワックスはアジュバン化粧品を使い始めました。

とにかく、6ヶ月間使ってください!ということを信じて。

市販の安いシャンプーを使っていた私は、たまねぎのヒゲのような髪の毛。

3人目出産後からどんどんやせて(髪の毛が)ゴアゴアな変な髪の毛…

それが、いつしかツヤツヤになっていきました…

機能性化粧品っていうのを知った私

そこで、基礎化粧品も使ってみようかなーと。

使い始めのころは、自由きままに使っていました。

ファンデーションは使っていなかったけど、だんだんと別のファンデが重く苦しく感じてきたので使うことにしたんです。

一度、ポーラが良いと言われて、(自分の肌にあった化粧品をオーダーするやつね)あれを使いましたが、案の定う~ん、でした。

でも、今回はステロイドは使いませんでした。

即座にアジュバン化粧品に戻したところ、すぅ~とひいていきました。

こういう化粧品があるんだなーと感動を覚えて、化粧品の成分と向き合うきっかけになりました。

何にかぶれているのかがわかるようになった

それ以降、ひたすら化粧品吟味するようになりました。

これだけ使っていると、ダメな成分っていうのがほとんど共通して入っているんですよね。
それに、つけた瞬間わかるんです。

それがわかるようになってから、スパっとやめるようにしました。

かぶれとの闘いは終息していったのです。

2006年から化粧かぶれはほとんど起きない

敏感肌の方向けのサロンを立ち上げる

私がサロンを立ち上げたきっかけは、私自身が化粧かぶれを起こすから。

とにかく、私自身が使える化粧品が欲しい!と思ったからです。

私が使えるような化粧品の開発などを手掛けるようになって行きました。

私の場合は、たまたまで、こういう人は少ないんだろうな。とも思います。

だから、こんな経験しても乗り越えられたよ。っていうことをお伝えしたかったのです。

女性が美しく幸せでありますように

沢山、化粧カブレで苦しんでいる人っているんですよね。

女の子に生まれてきたんだもの、お化粧楽しみたい。と思っても。

美しくありたい、キレイって言われたいと思っても、お肌がついて行かない…それはなぜ?どうして私だけ?

そんな風に悩んでいるヒトっているんですよね。

女性を美しくして幸せになって欲しいと願っています。

その為に、お化粧品だけでなく様々な観点から、美しく幸せになるツールを探してお教えして行きたいと考えています。

私は、私がこの世からいなくなるまで、悩める女性に寄り添って参ります。